杉戸宿(すぎとじゅく)は、江戸・日本橋から数えて5番目にあたる日光街道・奥州道中の宿場です。現在の埼玉県北葛飾郡杉戸町にあり、東武動物公園駅東口から歩いて旧街道をたどれます。
天保14年(1843)ごろには家数365軒、人口1,663人を数え、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠46軒が置かれていました。五と十の付く日には六斎市が開かれ、近隣の村々から人が集まりました。
現在、宿場時代の建物は多く残っていません。ただし、本陣跡の門構えや復元された高札場、旧商家、寺社などから、街道沿いに形成された町の歴史をたどることができます。
杉戸宿の基本情報
杉戸宿は、日光街道の5番目の宿場です。街道上の位置と天保期の規模をまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 宿名 | 杉戸宿 |
| 読み | すぎとじゅく |
| 街道 | 日光街道(日光道中)・奥州道中 |
| 宿番号 | 5番 |
| 旧国(天保期) | 武蔵国 |
| 現在地 | 埼玉県北葛飾郡杉戸町 |
| 開宿 | 元和2年(1616)に取り立てられたと伝わる |
| 統計年代 | 天保14年(1843)ごろ |
| 家数 | 365軒 |
| 人口 | 1,663人 |
| 本陣 | 1軒 |
| 脇本陣 | 2軒 |
| 旅籠 | 46軒 |
| 問屋場 | 1か所 |
| 前の宿 | 粕壁宿 |
| 次の宿 | 幸手宿 |
| 主な最寄駅 | 東武動物公園駅 |
家数・人口、本陣・脇本陣・旅籠数は、『日光道中宿村大概帳』をもとに杉戸町が作成した「杉戸宿まち歩きポケットブック」によります。
杉戸の地域は、もとは下総国葛飾郡に属し、寛永18年(1641)ごろに武蔵国へ編入されたとされています。
元和2年(1616)に開かれたとすれば、当初の杉戸宿は下総国に属していた可能性があります。基本情報表には、天保期の所属である武蔵国を記載しています。
杉戸宿は現在のどこにあった?
杉戸宿は、現在の杉戸町杉戸地区を通る旧日光街道沿いにありました。最寄り駅は東武スカイツリーライン・東武日光線の東武動物公園駅です。
杉戸町の資料では、宿場を通る往還は長さ16町55間(約1.8km)、道幅5間(約9.1m)とされています。幕末期の町場には九軒茶屋、横町、河原組、上町、中町、下町、新町が並び、その先には清地村が続いていました。
本陣と2軒の脇本陣は、宿場の中心にあたる中町に置かれていました。問屋場は下町にあり、旅人の宿泊手配や人馬の継立を取り仕切っていました。
杉戸宿内の旧街道は、現在の国道4号とは別の道です。東武動物公園駅東口から古利根川を渡り、東福寺付近から旧日光街道へ入ると、宿場の道筋を歩けます。
杉戸宿は1616年に開かれたと伝わる
杉戸町は、元和2年(1616)に江戸幕府が杉戸宿を設置したと説明しています。平成28年(2016)には、開宿400年を記念する事業も行われました。
この1616年説は、『新編武蔵風土記稿』に杉戸宿が元和2年に取り立てられたと記されていることによります。
ただし、宮代町史は、正保年間の資料に杉戸宿の名がみられない点を挙げ、成立時期には検討の余地があるとしています。
1616年は杉戸町が採用している開宿年ですが、史料上の疑問が残るため断定はできません。本記事では、「元和2年に取り立てられたと伝わる」と記載します。
杉戸宿の町場は段階的に広がった
杉戸宿の町場は、最初から幕末期と同じ範囲に広がっていたわけではありません。
杉戸町の資料によると、当初は上町・中町・下町で構成されていました。その後、新町、河原組、横町、九軒茶屋などが加わり、幕末期の町場が形づくられました。
杉戸宿では五と十の日に六斎市が開かれた
杉戸宿では、五と十の日に六斎市が開かれました。月に6回の市には近隣の農村から人が集まり、宿場は地域の商業地としてもにぎわいました。
宿場の役割は、旅人を泊めることだけではありません。杉戸宿では25人の人足と25匹の馬を用意し、公用の人や荷物を次の宿場へ送る役目を担いました。不足する人馬は、周辺の助郷村が補いました。
宿場内には問屋場が置かれ、人馬の手配と宿泊先の調整を行いました。杉戸宿はこうした伝馬役を負担する代わりに、屋敷地1万坪分の地子を免除されていました。
街道の近くを流れる大落古利根川も、杉戸の商業を支えました。たとえば、横町の米穀問屋「角穀」は、古利根川を使って米を運んだと伝えられています。杉戸宿は、街道交通と河川交通の両方を利用できる町でした。
杉戸宿の本陣・脇本陣・旅籠
天保14年(1843)ごろの杉戸宿には、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠46軒がありました。本陣と脇本陣は中町にまとまって置かれ、現在も本陣跡に門構えが残っています。
本陣は長瀬清兵衛家が務めた
杉戸宿の本陣は、主に長瀬清兵衛家が務めました。当主が女性だった時期には、別の家が本陣役を担ったこともあったと伝えられています。
本陣の建物は残っていませんが、敷地入口の門構えが本陣跡の位置を示しています。現在も個人宅のため、見学は公道からに限られます。
杉戸町の資料には門の建築年代が示されていないため、本記事では「江戸時代の門」とは断定しません。
本陣の両側に脇本陣があった
杉戸宿の2軒の脇本陣は、本陣を挟むように置かれていました。幕末期には、西側を酒屋伝右衛門、東側を蔦屋吉兵衛が務めたとされています。
脇本陣を務めた家は時代によって変わりました。蔦屋吉兵衛が長瀬家に代わって本陣役を務めたこともあったと伝えられています。
脇本陣の建物は残っていませんが、旧街道沿いで位置を確認できます。
幕末の滑稽本に旅籠「釘屋」が登場する
杉戸宿に46軒あった旅籠のうち、釘屋は幕末の滑稽本『奥羽一覧道中膝栗毛』に登場します。この作品は、初代の死後に名跡を継いだ二世十返舎一九によるものです。
作品には、弥次郎兵衛や喜多八らが釘屋に泊まり、酒や料理を楽しむ場面が描かれています。釘屋と主人の嘉右衛門は、当時の杉戸宿に実在したとされています。
文学作品のため、描写のすべてを事実とはみなせません。それでも、宿場にあった旅籠の名前や、作品に描かれたにぎわいを知る手がかりになります。
現在の杉戸宿に残る旧街道と史跡
現在、本陣の建物は残っていません。杉戸町の案内では、釘屋も旅籠跡として紹介されています。
一方で、本陣跡の門、復元高札場、旧商家、寺社などをたどると、宿場の範囲と町の成り立ちを確認できます。
杉戸宿本陣跡
杉戸宿本陣跡は、旧日光街道沿いの中町にあります。長瀬清兵衛家が本陣を務めた場所で、現在も門構えが残っています。
敷地は個人宅であり、内部は公開されていません。門は公道から見学します。
高札場跡・復元高札場
高札場は、幕府の法令や禁令を記した札を掲げた場所です。杉戸宿では、元禄期には名主の関根四郎兵衛宅の一角に置かれ、幕末には遠野屋の敷地にあったとされています。
現在、かつての高札場そのものは残っていません。平成28年(2016)に、『日光道中宿村大概帳』の記述をもとにした高札場が、旧街道沿いの清地地区に復元されました。
宝性院
宝性院は杉戸宿の横町にある寺院です。永禄3年(1560)、幸手城主の一色氏が不動堂を建て、安産不動明王を安置したことに始まると伝えられています。
杉戸町の資料によると、宝性院は法要のほか、寺子屋教育や旅人の宿泊にも関わりました。明治時代には郡役所や杉戸学校が置かれたこともあります。
角穀跡
角穀は、宿場の枡形近くにあった米穀問屋です。屋号は、道の角にある米穀問屋に由来するとされています。
母屋と蔵が残り、杉戸宿の商家の姿を伝えています。ただし、現在も個人宅であり、敷地内は公開されていません。見学は公道から行います。
愛宕神社
愛宕神社は、中町にある杉戸宿の鎮守の一つです。杉戸では大火がたびたび起こり、愛宕神社は火伏せの神として信仰されました。
社伝では、宝永2年(1705)の洪水で愛宕神の像が流れ着き、もともとあった香取神社に合祀されたといいます。明治初期に社号を愛宕神社へ改めました。
問屋場跡・明治天皇御小休所阯
下町にあった問屋場の跡地には、「明治天皇御小休所阯」の石碑があります。
明治9年(1876)には、この場所に埼玉県第六区区務所が置かれていました。同年の東北巡幸で明治天皇が休憩したことを記念して、石碑が建てられています。
問屋場の建物は残っていません。跡地は、明治時代にも行政の拠点として使われました。
杉戸宿へのアクセス
杉戸宿の最寄り駅は、東武スカイツリーライン・東武日光線の東武動物公園駅です。東口を出て古川橋で大落古利根川を渡ると、旧日光街道沿いの宿場跡に着きます。
本陣跡地前交差点までは、駅東口から約500mです。杉戸町が案内する「杉戸宿の歴史を学ぶ旅」は、東武動物公園駅を起点とする約2.5kmの散策コースです。
本陣跡、宝性院、角穀跡、復元高札場などを巡る場合は、1時間から1時間30分ほどを見込むと歩きやすいでしょう。個人宅となっている史跡もあるため、敷地内へは入らず、公道から見学します。
前後の宿場
杉戸宿は日光街道の5番目の宿場です。江戸方面には粕壁宿、日光方面には幸手宿が続きます。
粕壁宿 ← 杉戸宿 → 幸手宿
『日光道中宿村大概帳』では、粕壁宿から杉戸宿までが1里21町、杉戸宿から幸手宿までが1里25町とされています。
- 前の宿場:粕壁宿
- 次の宿場:幸手宿
- 日光街道21宿の一覧を見る
杉戸宿に関するよくある質問
最後に、杉戸宿の場所や成立、本陣跡、現在の見どころについて、よくある疑問をまとめます。
杉戸宿は現在のどこですか?
現在の埼玉県北葛飾郡杉戸町杉戸地区にありました。
東武動物公園駅東口から古利根川を渡った先に旧日光街道があり、本陣跡や問屋場跡などを歩いて巡れます。
杉戸宿は日光街道の何番目の宿場ですか?
日本橋から数えて5番目の宿場です。
千住宿、草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿の順に続きます。日光道中だけでなく、宇都宮宿まで同じ道筋を通る奥州道中の宿場でもありました。
杉戸宿はいつできましたか?
杉戸町は、元和2年(1616)に開かれた宿場としています。
この年代は『新編武蔵風土記稿』の記述によります。ただし、正保年間の資料に杉戸宿の名がみられないという指摘もあるため、本記事では1616年に取り立てられたと伝わる宿場として扱っています。
杉戸宿の本陣は残っていますか?
本陣の建物は残っていませんが、長瀬清兵衛家が本陣を務めた場所に門構えが残っています。
現在も個人宅のため、見学できるのは公道からです。杉戸町の資料には門の建築年代が示されていないため、江戸時代の建築とは断定できません。
杉戸宿では何の日に市が開かれましたか?
五と十の付く日に、月6回の六斎市が開かれました。近隣の農村から人が集まり、杉戸宿は地域の商業地としてもにぎわいました。
杉戸宿には何が残っていますか?
本陣跡の門構え、復元高札場、角穀の母屋と蔵、宝性院や愛宕神社などが残っています。
本陣と脇本陣の建物は現存していません。杉戸町の案内では、旅籠の建物は紹介されておらず、釘屋も跡地として扱われています。現在の見どころには個人宅も含まれるため、公開範囲を守って見学する必要があります。
参考資料・典拠
本記事の執筆では、杉戸町・埼玉県・宮代町立図書館・国立国会図書館などの資料を参照しました。
- 杉戸町「杉戸宿まち歩き【1】」
- 杉戸町「杉戸宿まち歩き【2】」
- 杉戸町「杉戸宿まち歩き【3】」
- 杉戸町「杉戸宿まち歩き【4】前編」
- 杉戸町「杉戸宿まち歩き【4】後編」
- 杉戸町「杉戸宿まち歩き【5】」
- 杉戸町「杉戸宿まち歩き【6】」
- 杉戸町「杉戸宿まち歩きポケットブック」第3版
- 宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料「日光道中の宿場町と助郷」
- 埼玉県「日光街道埼玉六宿まち歩きリーフレット」
- 埼玉県「杉戸町のウオーキングコース」
- 国立国会図書館サーチ『近世交通史料集 6 日光・奥州・甲州道中宿村大概帳』
- 国立国会図書館サーチ『東海道中・岐蘇道中・奥羽道中膝栗毛』
- コトバンク「杉戸」『世界大百科事典』
- 葛飾区史「葛飾郡の範囲」

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