野木宿(のぎしゅく)は、江戸・日本橋から数えて日光街道の10番目にあたる宿場です。奥州道中も宇都宮宿までは日光街道と同じ道筋を通るため、野木宿は日光街道と奥州道中の宿場を兼ねていました。
現在の栃木県下都賀郡野木町にあたり、江戸方面から進むと下野国に入って最初の宿場です。本陣・脇本陣・旅籠が置かれ、問屋場では人馬の継立が行われていました。
かつての街道沿いには松並木が続き、その様子は江戸時代の絵図にも描かれています。現在は本陣・脇本陣の建物や一里塚は残っていませんが、説明板や道標から旧街道の歴史をたどれます。
野木宿の基本情報
野木宿の所在地や天保期の規模をまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 宿名 | 野木宿 |
| 読み方 | のぎしゅく |
| 街道 | 日光街道・奥州道中 |
| 宿番号 | 10番 |
| 旧国 | 下野国 |
| 現在地 | 栃木県下都賀郡野木町大字野木周辺 |
| 家数 | 126軒 |
| 人口 | 527人 |
| 本陣 | 1軒 |
| 脇本陣 | 1軒 |
| 旅籠 | 25軒 |
| 問屋場 | 4か所 |
| 前の宿 | 古河宿 |
| 次の宿 | 間々田宿 |
| 最寄駅 | JR宇都宮線・野木駅 |
家数・人口と、本陣・脇本陣・旅籠・問屋場の数は、天保14年(1843)ごろの記録に基づいています。
野木宿の場所
野木宿は、現在の野木町大字野木周辺にありました。旧日光街道の道筋は、おおむね現在の国道4号と重なっています。
古河宿から野木宿までは25町20間、約2.8kmでした。野木宿から間々田宿までは1里27町、約6.9kmありました。宿場の町並みは南北に10町55間、約1.2km続いていたとされています。
野木宿の成立と本野木・新野木
野木宿は、本野木と新野木を合わせて設けられました。もともとの集落は、野木神社周辺にあったと伝えられています。
現地の「日光街道野木宿」説明板では、文禄年間(1592~1596)に集落が街道沿いへ移り、慶長7年(1602)に本野木と新野木を合わせて一つの宿場としたと説明されています。
天保期には問屋場が4か所あり、本野木と新野木に2か所ずつ置かれていました。問屋場は、人足や馬を手配し、旅人や荷物を次の宿場へ送る「継立」を担った施設です。
野木宿の規模と旅籠
天保14年(1843)ごろの野木宿には、家数126軒、人口527人が記録されています。本陣と脇本陣が各1軒置かれ、旅籠は25軒ありました。
前の古河宿には家数1,105軒、人口3,865人が記録されており、野木宿は古河宿より小規模でした。それでも旅籠は25軒あり、日光や奥州方面を行き来する旅人を受け入れていました。
野木宿には、人足25人と馬25疋を常備することが定められていました。交通量が増えて人馬が不足すると、助郷に定められた周辺の村々が人足や馬を補いました。
野木宿の松並木
日光街道の並木というと杉がよく知られていますが、野木宿では街道沿いに松並木が続いていました。
江戸幕府が街道と沿道の様子を記録した「日光道中分間延絵図」にも、野木宿の松並木が描かれています。
現在は当時の並木をそのまま見ることはできませんが、野木町観光協会の解説や現地の説明板から、当時の景観を知ることができます。
野木宿周辺の見どころ
野木宿では本陣や脇本陣の建物が残っていないため、説明板や道標を手がかりに宿場の歴史をたどります。周辺の野木神社や野木町郷土館も含め、主な見どころを紹介します。
日光街道野木宿の説明板
旧日光街道沿いには、野木宿の成立や規模を紹介する説明板があります。本陣や脇本陣などの建物は残っていませんが、説明板が立つ場所から宿場の位置を確認できます。
野木の一里塚跡
野木宿の北側には、日本橋から17里目にあたる一里塚がありました。一里塚は街道の両側に設けられた土の塚で、旅人が距離を測る目印として利用したものです。
塚そのものは残っていませんが、旧日光街道沿いに説明板が立っています。野木宿から間々田宿へ向かう道筋をたどる際の目印になります。
野木宿道標
野木宿道標は、日光街道から脇道が分かれる地点に立つ石造の道標です。「是より大平山道」と刻まれ、野木町の文化財に指定されています。
この脇道は、現在の栃木市方面を経て例幣使街道に合流し、日光方面へ向かう近道としても使われました。野木宿道標は、日光街道から栃木方面へ向かう脇道が分かれていたことを現在に伝えています。
野木神社
野木神社は、野木宿の南西に鎮座する古社です。野木宿のもとになった集落は、街道沿いへ移る前、この神社の周辺にあったと伝えられています。
社殿は文化3年(1806)の火災で焼失した後、古河藩主・土井利厚の寄進を受けて再建され、文政4年(1821)に完成しました。現在の本殿と拝殿は、栃木県指定有形文化財です。
境内には、江戸時代後期の画家・谷文晁の作と伝わる「黒馬繋馬図絵馬」もあります。こちらも栃木県指定有形文化財で、野木神社の歴史を伝える貴重な奉納品です。
野木町郷土館
野木町役場の敷地内にある野木町郷土館では、町内の遺跡から出土した資料や江戸時代の街道絵図、昔の生活用具などを展示しています。
野木宿だけでなく、野木町全体の歴史を知りたいときに立ち寄りやすい施設です。開館日や開館時間は変更される場合があるため、訪問前に野木町の公式案内を確認してください。
野木宿へのアクセス
野木宿の最寄駅は、JR宇都宮線の野木駅です。ただし、駅から旧日光街道までは距離があり、野木駅西口から野木神社まではタクシーで約10分かかります。
野木駅西口では、無料の電動アシスト付きレンタサイクルを利用できます。貸出時間や受付場所は変更されることがあるため、利用前に野木町の公式ページで最新情報を確認しましょう。
古河宿から旧街道を歩いて向かう方法もあります。古河宿と野木宿の間は約2.8kmなので、県境を越えて二つの宿場を続けて巡れます。
野木宿の前後の宿場
野木宿は、日光街道の10番目の宿場です。江戸方面には古河宿があり、日光方面には間々田宿が続きます。
古河宿 ← 野木宿 → 間々田宿
前の宿場:古河宿
次の宿場:間々田宿
日光街道21宿の一覧を見る
野木宿に関するよくある質問
野木宿の場所や規模、現在見られる史跡について、よくある疑問をまとめます。
野木宿は現在のどこにありましたか?
現在の栃木県下都賀郡野木町大字野木周辺です。旧日光街道の道筋は、おおむね国道4号と重なっています。
野木宿は日光街道の何番目の宿場ですか?
江戸・日本橋から数えて10番目の宿場です。江戸方面から古河宿、野木宿、間々田宿の順に続きます。
野木宿は下野国で最初の宿場ですか?
はい。江戸方面から日光街道を進むと、下総国の古河宿を出た後に下野国へ入り、最初に着く宿場が野木宿です。
野木宿はどのくらいの規模でしたか?
天保14年(1843)ごろには、家数126軒、人口527人、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒がありました。問屋場は本野木と新野木に2か所ずつ、合計4か所置かれていました。
野木宿の松並木は現在も残っていますか?
当時の松並木は残っていません。野木宿の街道沿いに松並木があったことは、「日光道中分間延絵図」や野木町観光協会の解説で確認できます。
野木宿の本陣は残っていますか?
本陣や脇本陣の建物は残っていません。現在は旧日光街道沿いの説明板や道標、一里塚跡の案内から、宿場の歴史をたどれます。
野木宿では何を見学できますか?
日光街道野木宿の説明板、野木の一里塚跡、野木宿道標などを見学できます。少し離れた場所には野木神社や野木町郷土館もあります。
参考資料・典拠
本記事では、野木町、野木町観光協会、栃木県、国立文化財機構などの公開資料を参照しました。
- 野木町観光協会「野木の歴史」
- 野木町「史跡・文化財の紹介」
- 栃木県「野木神社 本殿、拝殿 附 棟札3点」
- 野木町「レンタサイクル」
- 野木町「野木町郷土館」
- 栃木県観光物産協会「野木神社」
- 国立文化財機構「ColBase 五海道其外分間延絵図並見取絵図」
- 平凡社『日本歴史地名大系 栃木県の地名』「野木宿」
- 国立国会図書館サーチ『近世交通史料集 6 日光・奥州・甲州道中宿村大概帳』

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