今市宿とは?日光街道の20番目の宿場!追分地蔵・日光杉並木を解説

今市宿とは?日光街道の20番目の宿場!追分地蔵・日光杉並木を解説 宿場

今市宿(いまいちしゅく)は、江戸・日本橋から数えて日光街道の20番目にあたる宿場です。現在の栃木県日光市今市にあり、大沢宿と日光街道最後の鉢石宿の間に位置していました。

天保14年(1843)には家数236軒、人口1,122人を数え、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒がありました。

今市は、日光街道だけでなく日光例幣使街道や会津西街道とも結ばれた交通の要衝です。現在も日光街道と例幣使街道の追分には大きな石造地蔵菩薩坐像が残り、「追分地蔵」として親しまれています。

また、今市の前後には日光杉並木が続いています。旧街道と杉並木をたどることで、日光の門前町へ向かう直前の宿場だった今市の歴史を知ることができます。

今市宿の基本情報

今市宿の所在地や規模など、基本情報をまとめます。

項目内容
宿名今市宿
読み方いまいちしゅく
街道日光街道(日光道中)
宿番号20番
旧国下野国
現在地栃木県日光市今市
家数236軒
人口1,122人
本陣1軒
脇本陣1軒
旅籠21軒
問屋場1か所
宿建人馬25人・25匹
前の宿大沢宿
次の宿鉢石宿
主な最寄駅東武日光線・下今市駅、JR日光線・今市駅

家数や人口、本陣、脇本陣、旅籠などの数は、天保14年(1843)の『日光道中宿村大概帳』に基づいています。

今市宿の場所

今市宿は、現在の日光市今市の中心部にありました。

旧日光街道は現在の市街地を東西に通り、宿場の西側から日光方面へ向かいます。『日光道中宿村大概帳』によると、宿場の町並みは7町21間ありました。

前の大沢宿までは2里、次の鉢石宿までも2里です。

大沢宿 ← 今市宿 → 鉢石宿

現在は、東武下今市駅やJR今市駅から旧宿場の中心部を徒歩でたどることができます。

今市宿は江戸時代初期に宿駅として整えられた

今市は、日光東照宮の成立後、江戸と日光を結ぶ日光道中の宿場として発展しました。

日光市に残る「今市宿名主文書」からは、江戸時代前期にはすでに宿駅としての仕組みが整っていたことが分かります。

元禄9年(1696)の「道法改帳」には、今市宿の長さが6町と記されています。問屋1、年寄8、帳付1、馬指1、飛脚番1のほか、馬役107、歩行役69、馬107があり、人馬の継立を担っていました。

その後も、日光へ向かう旅人や大名、徳川将軍の日光社参に関わる人々が行き交う宿場として利用されました。

今市宿には本陣1軒・旅籠21軒があった

天保14年(1843)の今市宿には、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒がありました。

宿内の家数は236軒、人口は1,122人です。前の大沢宿と比べても家数・人口ともに多く、日光へ入る手前の大きな町を形成していました。

また、日光市指定文化財の「今市宿名主文書」からは、文挾家と大橋家が江戸時代に名主や問屋を務めていたことが分かります。

宿場では人足や馬を用意し、大沢宿や鉢石宿へ人や荷物を送り継いでいました。

今市は複数の街道が集まる交通の要衝だった

今市の大きな特徴は、複数の街道が集まっていたことです。

江戸時代の今市は、日光街道・例幣使街道・会津西街道が結ばれる宿場町として栄えました。

日光例幣使街道は、中山道の倉賀野から分かれて日光へ向かう街道です。朝廷から日光東照宮へ派遣される例幣使も、この道を通りました。

日光街道と例幣使街道が出合う場所には、現在も追分地蔵尊があります。複数の街道が集まったことで、今市は日光参詣の拠点であると同時に、周辺地域を結ぶ交通の中心地となりました。

追分地蔵は日光街道と例幣使街道の追分にある

今市宿を代表する史跡の一つが「追分地蔵」です。

正式には石造地蔵菩薩坐像といい、日光街道と例幣使街道の追分に安置されていることから、追分地蔵と呼ばれています。

像高は2.9mあり、丸彫りの石造地蔵坐像として東日本でも大型のものです。製作年代は分かっていませんが、8代将軍徳川吉宗が日光へ社参した時点ですでに現在地に祀られていた記録があります。

昭和40年(1965)には、日光市の有形文化財に指定されました。

現在も、今市が街道の分岐点だったことを伝える史跡です。

徳川将軍の日光社参では如来寺が休憩地となった

今市宿は、徳川将軍の日光社参でも重要な通過地点でした。

天保14年(1843)、12代将軍徳川家慶の日光社参では、宇都宮城を出発した一行が徳次郎宿、大沢宿を経て今市へ向かいました。

一行は大沢村の龍蔵寺で昼食をとった後、今市宿の如来寺で休憩し、七里村を経て日光へ入りました。

今市宿は日光東照宮へ到着する直前に位置し、大規模な日光社参を支える宿場の一つでもありました。

今市では朝鮮種人参の試作も行われた

江戸時代の今市では、朝鮮種人参の栽培も行われました。

8代将軍徳川吉宗は朝鮮種人参の国産化を進め、その試作地の一つとして日光神領を選びました。

享保14年(1729)には、今市宿の大出伝左衛門へ人参3根が渡され、試作が始まったと伝えられています。その後、栽培地域は七里や小来川などへ広がり、下野国では朝鮮種人参の生産が発展しました。

今市は街道交通だけでなく、幕府が進めた産業政策とも関わりを持っていました。

幕末には二宮尊徳の報徳役所が置かれた

幕末の今市には、二宮尊徳が日光神領の復興を進めるための「報徳役所」が置かれました。

尊徳は嘉永6年(1853)、江戸幕府から日光神領の復興を命じられます。安政2年(1855)には、現在の日光市歴史民俗資料館・二宮尊徳記念館がある場所に報徳役所を建て、農村復興事業である報徳仕法を進めました。

尊徳は安政3年(1856)に、この報徳役所で亡くなっています。

現在、報徳役所跡には二宮尊徳記念館があります。また、安政6年(1859)に建てられた報徳役所書庫も、移築を経て現在地に復元・保存されています。

今市宿の前後には日光杉並木が続く

今市周辺でも、旧街道に沿って日光杉並木を見ることができます。

日光杉並木は、松平正綱・正信親子によって20数年をかけて植えられ、日光東照宮へ寄進されました。

日光街道・例幣使街道・会津西街道の杉並木を合わせた総延長は37kmです。2026年3月末時点では、3街道を合わせて12,025本の杉が残っています。

今市の西側にある杉並木公園周辺では、国道から外れた旧街道を歩きながら杉並木を見ることができます。

現在の今市宿周辺に残る見どころ

現在の今市では、江戸時代の宿場建築の多くが失われています。一方、追分地蔵や如来寺、日光杉並木などから、宿場と街道の歴史をたどることができます。

追分地蔵尊

追分地蔵尊は、日光街道と例幣使街道の追分にある石造地蔵菩薩坐像です。

像高2.9mの大きな石仏で、日光市の有形文化財に指定されています。

製作年代は不明ですが、8代将軍徳川吉宗の日光社参のころには、すでに現在地に祀られていました。

如来寺

如来寺は、今市宿にある寺院です。

天保14年(1843)の徳川家慶の日光社参では、一行の休憩地となりました。

現在は「今市宿八福神めぐり」の一つにもなっており、弁財天が祀られています。

日光市歴史民俗資料館・二宮尊徳記念館

日光市歴史民俗資料館・二宮尊徳記念館は、かつて報徳役所が置かれていた場所にあります。

二宮尊徳が晩年に取り組んだ日光神領の復興や報徳仕法について、史料や模型などから知ることができます。

敷地には、安政6年(1859)に建てられ、移築を経て復元された報徳役所書庫もあります。

杉並木公園

杉並木公園は、今市の西側にある日光杉並木沿いの公園です。

約6.7ヘクタールの園内には大小14基の水車があり、杉線香の粉挽きに使われた水車や、報徳仕法農家を復元した建物を見ることができます。

東武日光線の上今市駅から約100mの場所にあり、日光杉並木を歩いて見学できます。

今市宿へのアクセス

今市宿跡は、現在の日光市今市の中心市街地にあります。

主な最寄駅は、東武日光線・鬼怒川線の下今市駅と、JR日光線の今市駅です。どちらの駅からも旧日光街道沿いの市街地へ徒歩で向かうことができます。

追分地蔵尊や如来寺、二宮尊徳記念館などは中心部にあり、徒歩でたどれます。杉並木公園まで足を延ばす場合は、東武日光線の上今市駅も利用できます。

今市宿の前後の宿場

今市宿は、日光街道の20番目の宿場です。江戸方面には大沢宿、日光方面には日光街道最後の鉢石宿があります。

大沢宿 ← 今市宿 → 鉢石宿

前の宿場:大沢宿
次の宿場:鉢石宿
日光街道21宿の一覧を見る

今市宿に関するよくある質問

今市宿の場所や規模、追分地蔵、日光杉並木について、よくある疑問をまとめます。

今市宿は現在のどこにありましたか?

現在の栃木県日光市今市です。

東武下今市駅やJR今市駅周辺の中心市街地を、旧日光街道が通っていました。

今市宿は日光街道の何番目の宿場ですか?

江戸・日本橋から数えて20番目の宿場です。

江戸方面から、大沢宿、今市宿、鉢石宿の順に続きます。

今市宿はどのくらいの規模でしたか?

天保14年(1843)には、家数236軒、人口1,122人でした。

本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒がありました。

なぜ今市は交通の要衝だったのですか?

日光街道だけでなく、日光例幣使街道や会津西街道が結ばれる場所だったためです。

江戸方面や上州方面、会津方面などから日光へ向かう道が集まり、宿場町として発展しました。

追分地蔵とは何ですか?

日光街道と例幣使街道の追分に安置されている石造地蔵菩薩坐像です。

像高2.9mの大型の石仏で、日光市の有形文化財に指定されています。

今市宿と二宮尊徳にはどのような関係がありますか?

二宮尊徳は、幕府から命じられた日光神領の復興を進めるため、安政2年(1855)に今市へ報徳役所を設けました。

翌安政3年(1856)に報徳役所で亡くなり、現在は跡地に二宮尊徳記念館があります。

今市宿では現在何を見学できますか?

追分地蔵尊、如来寺、日光市歴史民俗資料館・二宮尊徳記念館、日光杉並木などをたどることができます。

中心市街地から杉並木まで歩くと、交通の要衝として発展した今市宿と日光への街道のつながりを確認できます。

参考資料・典拠

本記事の執筆では、以下の資料を参照しました。

  • 日光市「今市宿名主文書」
  • 日光市「石造 地蔵菩薩坐像」
  • 日光市「市の位置・地形・歴史」
  • 日光市「朝鮮人参栽培に関する記録」
  • 日光市「歴史民俗資料館・二宮尊徳記念館の概要」
  • 日光市「報徳役所書庫」
  • 日光市「杉並木公園」
  • 栃木県『日光杉並木街道保存活用計画』
  • 『日光道中宿村大概帳』
  • 児玉幸多校訂『近世交通史料集 6 日光・奥州・甲州道中宿村大概帳』
  • 平凡社『日本歴史地名大系 栃木県の地名』
  • 『今市市史』

コメント

タイトルとURLをコピーしました