大沢宿(おおさわしゅく)は、江戸・日本橋から数えて日光街道の19番目にあたる宿場です。現在の栃木県日光市大沢町にあり、徳次郎宿と今市宿の間に位置していました。
天保14年(1843)には家数43軒、人口278人を数え、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠41軒がありました。家数に対して旅籠の割合が高く、旅人の宿泊を支える施設が多い宿場でした。
宿場の周辺には、徳川将軍の日光社参で使われた大沢御殿がありました。また、前後の街道には日光杉並木が続き、現在も江戸時代の街道の面影をたどることができます。
大沢宿の基本情報
大沢宿の所在地や規模など、基本情報をまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 宿名 | 大沢宿 |
| 読み方 | おおさわしゅく |
| 街道 | 日光街道(日光道中) |
| 宿番号 | 19番 |
| 旧国 | 下野国 |
| 現在地 | 栃木県日光市大沢町 |
| 家数 | 43軒 |
| 人口 | 278人 |
| 本陣 | 1軒 |
| 脇本陣 | 1軒 |
| 旅籠 | 41軒 |
| 問屋場 | 1か所 |
| 前の宿 | 徳次郎宿 |
| 次の宿 | 今市宿 |
| 最寄りの交通 | JR日光線・下野大沢駅から徒歩・路線バス |
家数や人口、本陣、脇本陣、旅籠などの数は、天保14年(1843)の『日光道中宿村大概帳』に基づいています。人口の内訳は男性125人、女性153人でした。
大沢宿の場所
大沢宿は、現在の日光市大沢町にありました。
旧日光街道は大沢町を南東から北西へ通り、現在の大沢交差点付近に宿場の町並みが続いていました。『日光道中宿村大概帳』によると、町並みの長さは4町4間で、現在の距離に換算すると約440mです。
前の徳次郎宿までは2里9町、次の今市宿までは2里ありました。
徳次郎宿 ← 大沢宿 → 今市宿
宿場の前後には日光杉並木が続きます。大沢宿は、江戸方面から日光へ向かう街道の中でも、杉並木が長く続く区間に位置していました。
大沢宿は日光道中の整備に伴って成立した
大沢宿は、日光東照宮の成立と日光道中の整備に伴い、江戸時代初期に宿駅として整えられました。
元和3年(1617)には徳川家康が日光に改葬され、その後、江戸と日光を結ぶ街道や宿場の整備が進みます。大沢宿もこの時期に宿駅となったとされています。
その後は一般の旅人だけでなく、大名や徳川将軍の日光社参に関わる人々の往来を支える宿場となりました。
大沢宿には本陣1軒・旅籠41軒があった
天保14年(1843)の大沢宿には、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠41軒がありました。
宿場全体の家数は43軒で、その多くを旅籠が占めていました。日光へ向かう旅人を受け入れる宿泊地として利用されていたことが分かります。
問屋場も置かれ、人足や馬を手配して、人や荷物を次の宿場へ送り継いでいました。
一方、宿場の町並みは火災の影響を受けたとされ、現在は本陣や旅籠が並んでいた当時の景観はほとんど残っていません。
大沢御殿は将軍の日光社参の休息所だった
大沢宿の周辺には、徳川将軍の日光社参で使用された「大沢御殿」がありました。
大沢御殿は、日光へ向かう将軍の休息所として設けられた施設です。3代将軍徳川家光も利用したと伝えられています。
日光社参では、道中の各地に将軍の休憩や宿泊のための施設が用意されました。大沢では宿場の本陣とは別に御殿が設けられ、将軍一行を受け入れていました。
現在は建物が残っていませんが、大沢町には御殿の跡地が伝えられています。
龍蔵寺も将軍の日光社参の休息所となった
大沢宿では、龍蔵寺も日光社参と関わりを持っていました。
龍蔵寺は、4代将軍徳川家綱の日光社参から、将軍の休憩所として使われたとされています。
現在の境内には「六尺フジ」と呼ばれる藤があり、日光市の天然記念物に指定されています。
この藤は、明治36年(1903)ごろに植えられた山藤を台木とし、昭和2年(1927)に花穂の長い藤を接ぎ木したものです。宿場時代のものではありませんが、現在の大沢地区を代表する文化財の一つです。
王子神社は旧大沢宿の鎮守
王子神社は、大沢町にある旧大沢宿の鎮守です。
鎌倉時代にさかのぼる創建伝承があり、大沢宿が整備される以前から地域で信仰されてきたとされています。
境内には大きなイチョウがあり、「王子神社の大イチョウ」として日光市の天然記念物に指定されています。
王子神社は、宿場とそれ以前から続く地域の歴史を伝える場所です。
大沢宿の前後には日光杉並木が続く
大沢宿周辺の日光街道を特徴づける景観が、日光杉並木です。
日光杉並木は、徳川家康に仕えた松平正綱が20年以上をかけて街道沿いに杉を植え、日光東照宮へ寄進したものです。日光街道・例幣使街道・会津西街道に残る杉並木を合わせると、現在の総延長は約37kmに及びます。
大沢町には、杉並木の寄進を伝える「並木寄進碑」も残っています。松平正綱の子・正信が建てたもので、正綱が杉並木を東照宮へ寄進したことが刻まれています。
大沢町の寄進碑は日光神領との境に位置することから、「境石」とも呼ばれてきました。
日光杉並木街道は、国の特別史跡と特別天然記念物に指定されています。
現在の大沢宿周辺に残る見どころ
現在の大沢宿では、宿場時代の建物の多くが失われています。一方、王子神社や大沢御殿跡、日光杉並木などから、日光道中と宿場の歴史をたどることができます。
王子神社
王子神社は、旧大沢宿の鎮守として信仰されてきた神社です。
境内には、日光市指定天然記念物の大イチョウがあります。大沢宿が整備される以前にさかのぼる創建伝承を持ち、地域の歴史を現在に伝えています。
大沢御殿跡
大沢御殿は、徳川将軍の日光社参の際に休息所として使われた施設です。
現在は建物が残っていませんが、大沢町に跡地が伝えられています。宿場の本陣とは別に、将軍のための施設が置かれていたことを伝える場所です。
龍蔵寺
龍蔵寺は、4代将軍徳川家綱の日光社参から、将軍の休憩所として使われたとされています。
現在の境内には、日光市指定天然記念物の「六尺フジ」があります。
大沢町の並木寄進碑
大沢町には、日光杉並木の寄進碑が残っています。
松平正綱が植えた杉並木を日光東照宮へ寄進したことを伝える碑で、日光神領との境に置かれたことから「境石」とも呼ばれています。
水無の一里塚
大沢宿の日光側には、水無の一里塚が残っています。
江戸・日本橋から32里目にあたる一里塚で、現在も街道の両側に塚が残っています。
一里塚は日光杉並木の中にあり、杉並木とともに江戸時代の街道の姿を伝えています。
大沢宿へのアクセス
大沢宿の最寄駅は、JR日光線の下野大沢駅です。
駅から旧大沢宿の中心部まではやや距離があります。徒歩で訪れる場合は時間に余裕を持つか、路線バスを利用すると便利です。
大沢宿周辺には、王子神社や日光杉並木などの史跡が広い範囲に点在しています。旧街道を歩く場合は、宿場の前後に続く杉並木とあわせて巡ると、大沢宿と日光街道の位置関係が分かりやすくなります。
大沢宿の前後の宿場
大沢宿は、日光街道の19番目の宿場です。江戸方面には徳次郎宿、日光方面には今市宿があります。
徳次郎宿 ← 大沢宿 → 今市宿
前の宿場:徳次郎宿
次の宿場:今市宿
日光街道21宿の一覧を見る
大沢宿に関するよくある質問
大沢宿の場所や規模、大沢御殿、日光杉並木について、よくある疑問をまとめます。
大沢宿は現在のどこにありましたか?
現在の栃木県日光市大沢町です。
旧日光街道沿いに宿場が形成され、現在の大沢交差点付近に町並みが続いていました。
大沢宿は日光街道の何番目の宿場ですか?
江戸・日本橋から数えて19番目の宿場です。
江戸方面から、徳次郎宿、大沢宿、今市宿の順に続きます。
大沢宿はどのくらいの規模でしたか?
天保14年(1843)には、家数43軒、人口278人でした。
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠41軒、問屋場1か所がありました。
大沢御殿とは何ですか?
徳川将軍の日光社参の際に使われた休息所です。
大沢宿の近くに設けられ、3代将軍徳川家光も利用したと伝えられています。現在は建物が残っていませんが、跡地が伝えられています。
大沢宿と日光杉並木にはどのような関係がありますか?
大沢宿の前後の日光街道には、杉並木が続いています。
大沢町には杉並木を日光東照宮へ寄進したことを伝える並木寄進碑もあり、宿場と杉並木をあわせてたどることができます。
大沢宿では現在何を見学できますか?
王子神社、大沢御殿跡、龍蔵寺、大沢町の並木寄進碑、水無の一里塚などをたどることができます。
宿場時代の建物はほとんど残っていませんが、日光杉並木や周辺の史跡から江戸時代の日光道中の歴史を知ることができます。
参考資料・典拠
本記事の執筆では、以下の資料を参照しました。
- 日光市「王子神社の大イチョウ」
- 日光市「龍蔵寺の六尺フジ」
- 日光市『広報にっこう』「教えてムサっぺ! 日光杉並木街道」
- 日光市歴史民俗資料館『特別史跡・特別天然記念物 日光杉並木街道』
- 日光市・今市地域資料「大沢宿~水無」
- 『日光道中略記』
- 『日光道中宿村大概帳』
- 児玉幸多校訂『近世交通史料集 6 日光・奥州・甲州道中宿村大概帳』
- 平凡社『日本歴史地名大系 栃木県の地名』
- 『今市市史』


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