鉢石宿(はついししゅく)は、江戸・日本橋から数えて日光街道の21番目にあたる最後の宿場です。現在の栃木県日光市にあり、古くから栄えていた日光山の門前町に宿駅の機能が加わって成立しました。
天保14年(1843)には家数227軒、人口985人を数え、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠19軒がありました。前の今市宿からは2里で、宿場の先には日光山内が広がっています。
鉢石宿の大きな特徴は、日光東照宮や輪王寺、二荒山神社を擁する日光山の門前に位置していたことです。現在も旧街道沿いには地名の由来となった「鉢石」が残り、その先には日光山内の入口となる神橋があります。
鉢石宿の基本情報
鉢石宿の所在地や規模など、基本情報をまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 宿名 | 鉢石宿 |
| 読み方 | はついししゅく |
| 街道 | 日光街道(日光道中) |
| 宿番号 | 21番 |
| 旧国 | 下野国 |
| 現在地 | 栃木県日光市の鉢石町周辺 |
| 家数 | 227軒 |
| 人口 | 985人 |
| 本陣 | 2軒 |
| 脇本陣 | 1軒 |
| 旅籠 | 19軒 |
| 問屋場 | 1か所 |
| 宿建人馬 | 25人・25匹 |
| 前の宿 | 今市宿 |
| 次の宿 | なし(日光街道最後の宿場) |
| 主な最寄駅 | JR日光駅・東武日光駅 |
家数や人口、本陣、脇本陣、旅籠などの数は、天保14年(1843)の『日光道中宿村大概帳』に基づいています。人口の内訳は男性516人、女性469人でした。
鉢石宿の場所
鉢石宿は、現在の日光市街地にありました。今市方面から旧日光街道を進むと、現在のJR日光駅・東武日光駅付近を経て、神橋方面へ向かいます。
宿内の町並みは東西に5町余あり、前の今市宿までは2里でした。
今市宿 ← 鉢石宿 → 日光山内
現在の上鉢石町・中鉢石町・下鉢石町には、江戸時代の鉢石町の地名が受け継がれています。神橋の東側に広がる東町一帯も、日光街道の終点として発展した地域です。
鉢石町は門前町から日光街道の宿場へ発展した
鉢石町は、日光街道が整備される以前から日光山の門前町として栄えていました。
永正6年(1509)の紀行文『東路の津登』には、この地域に多くの人家が続き、市のような町並みが形成されていたことが記されています。当時は「坂本」と呼ばれていたと考えられています。
江戸時代に入り、日光東照宮が造営されると、日光へ向かう人々の往来が増えました。これに伴って鉢石町には宿駅の機能が整えられ、日光道中最後の宿場となります。
日光市の歴史年表では、正保4年(1647)に鉢石町が宿場となったとされています。
鉢石宿は新たに一から造られた宿場ではなく、古くからあった門前町に宿駅の機能が加わって成立した町でした。
鉢石宿には本陣2軒・旅籠19軒があった
天保14年(1843)の鉢石宿には、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠19軒がありました。
宿内の家数は227軒、人口は985人です。問屋場も置かれ、25人・25匹の宿建人馬を備えていました。
宿場では人足や馬を用意し、公用の人や荷物を送り継いでいました。元禄14年(1701)の記録からも、鉢石宿が御朱印伝馬や人足を常備していたことが分かります。
日光山の門前に位置する鉢石宿は、参詣者を迎える町であると同時に、日光道中最後の宿駅として交通を支えていました。
鉢石宿は日光山の門前町でもあった
鉢石宿は、宿場町と日光山の門前町という二つの性格を持っていました。
宿場の西には神橋があり、その先には日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社がある日光山内が広がっています。
そのため、鉢石には街道を行き来する人だけでなく、日光山を参詣する多くの人々が訪れました。日光街道の終点であり、参詣者を迎える門前町でもあったことが、鉢石宿の大きな特徴です。
現在も神橋の東側には市街地が続き、世界遺産「日光の社寺」へ向かう玄関口となっています。
「鉢石」の地名は鉢を伏せたような岩に由来する
鉢石宿の名前の由来となった「鉢石」は、現在も中鉢石町に残っています。
地中の岩盤の一部が地表に突き出し、鉢を伏せたような形をしていることから「鉢石」と呼ばれるようになりました。
江戸時代の『日光山堂舎建立記』には、勝道上人の日光開山にまつわる伝承とともに、この岩から鉢石町の名が生まれたと記されています。
鉢石は古くから神聖なものとして扱われ、柵や注連縄を設けて守られてきました。現在は日光市の史跡に指定されています。
鉢石宿と御幸町では旅宿営業をめぐる争いも起きた
日光を訪れる参詣者が増えると、宿泊客をめぐって周辺の町との争いも起こりました。
宝永7年(1710)には、鉢石町と御幸町の間で旅宿営業をめぐる争いが発生しています。その後も問題は続き、寛政元年(1789)には鉢石宿が御幸町の旅宿営業禁止を目代役所へ訴えました。
寛政10年(1798)には日光奉行所が両者を調停し、それまでと同じく、くじによって参詣者を宿泊させる仕組みが認められました。
こうした争いからも、参詣者の宿泊が鉢石周辺の町にとって重要な収入源だったことがうかがえます。
神橋の先に日光山内が広がる
鉢石宿を西へ進むと、大谷川に架かる神橋に至ります。
神橋は日光二荒山神社の建造物で、日光山内の入口に位置しています。寛永13年(1636)の東照宮大造替の際に、現在とほぼ同じ構造の橋へ造り替えられました。ただし、当時は現在のような朱塗りではなく、素木の橋でした。
江戸時代に神橋を渡ることができたのは、主に神事や将軍社参、勅使などに限られていました。一般の参詣者は、神橋の下流に設けられた仮橋を通って日光山内へ向かっていました。
神橋は明治35年(1902)の洪水で流失し、明治37年(1904)に再建されています。現在は世界遺産「日光の社寺」を構成する建造物の一つです。
江戸から日光街道をたどってきた人々にとって、鉢石宿は日光山へ入る直前の宿場でした。
現在の鉢石宿周辺に残る見どころ
現在の鉢石宿周辺は、世界遺産「日光の社寺」へ続く観光地となっています。一方、鉢石や神橋、旧街道の道筋から、日光街道最後の宿場だった歴史をたどることができます。
鉢石
鉢石は、鉢石宿の地名の由来となった岩です。
鉢を伏せたような形をした岩盤の一部が地表に露出し、勝道上人の日光開山にまつわる伝承も残されています。
現在は日光市の史跡に指定され、注連縄を張って保存されています。
神橋
神橋は、鉢石宿の西側にある朱塗りの橋です。
大谷川に架かり、その先には日光山内が広がっています。日光二荒山神社の建造物で、世界遺産「日光の社寺」の一部です。
江戸時代には一般の参詣者が自由に渡る橋ではありませんでしたが、日光山の入口を示す重要な建造物でした。
日光郷土センター
日光郷土センターは、現在の御幸町にあります。
館内では、日光の歴史や伝統文化を紹介しています。江戸時代に作られたとされる弥生祭の本家体や、日光彫などを見ることができます。
鉢石宿や日光東町を歩く際の情報収集にも利用できる施設です。
鉢石宿へのアクセス
鉢石宿へは、JR日光駅または東武日光駅から徒歩で向かうことができます。
駅から神橋方面へ続く現在の国道119号には、旧日光街道の道筋と重なる区間があります。沿道には御幸町、下鉢石町、中鉢石町、上鉢石町と続きます。
駅前から神橋までは約1.5kmです。日光郷土センターや鉢石に立ち寄りながら歩くと、日光街道最後の宿場から日光山内へ至る道筋をたどることができます。
鉢石宿の前後の宿場
鉢石宿は、日光街道の21番目にあたる最後の宿場です。江戸方面には今市宿があります。
鉢石宿より先に宿場はなく、そのまま日光山内へと続きます。
今市宿 ← 鉢石宿 → 日光山内
前の宿場:今市宿
次の宿場:なし
日光街道21宿の一覧を見る
鉢石宿に関するよくある質問
鉢石宿の場所や規模、地名の由来、日光山との関係について、よくある疑問をまとめます。
鉢石宿は何と読みますか?
「はついししゅく」と読みます。
現在も日光市には、上鉢石町・中鉢石町・下鉢石町という地名が残っています。
鉢石宿は日光街道の何番目の宿場ですか?
江戸・日本橋から数えて21番目の宿場です。
日光街道最後の宿場で、前の宿場は今市宿です。
鉢石宿はどのくらいの規模でしたか?
天保14年(1843)には、家数227軒、人口985人でした。
本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠19軒がありました。
鉢石宿はいつ成立しましたか?
鉢石町は、日光街道が整備される以前から日光山の門前町として発展していました。
江戸時代に日光東照宮が造営されると宿駅の機能が整えられ、日光市の歴史年表では正保4年(1647)に鉢石町が宿場となったとされています。
「鉢石」という名前の由来は何ですか?
中鉢石町に残る「鉢石」という岩に由来します。
岩盤の一部が鉢を伏せたような形で地表に出ていることから、その名が生まれたとされています。
鉢石宿と日光東照宮にはどのような関係がありますか?
鉢石宿は、日光東照宮などがある日光山の門前に位置していました。
東照宮の造営後に日光参詣が盛んになると、古くからの門前町に宿駅の機能が加わり、日光街道最後の宿場として発展しました。
鉢石宿では現在何を見学できますか?
地名の由来となった鉢石、神橋、旧日光街道の道筋などをたどることができます。
周辺には日光郷土センターもあり、日光の歴史や伝統文化について知ることができます。
参考資料・典拠
本記事の執筆では、以下の資料を参照しました。
- 日光市「鉢石」
- 日光市「旧日光市歴史年表(江戸2)」
- 日光市「神橋」
- 日光市「日光郷土センター」
- 栃木県「日光東町地区 整備事業について」
- 国土交通省関東地方整備局『日光街道御徒マップ』
- 『日光道中宿村大概帳』
- 児玉幸多校訂『近世交通史料集 6 日光・奥州・甲州道中宿村大概帳』
- 平凡社『日本歴史地名大系 栃木県の地名』
- 『日光市史』

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