雀宮宿(すずめのみやしゅく)は、江戸・日本橋から数えて日光街道の16番目にあたる宿場です。現在の栃木県宇都宮市雀の宮周辺にあり、奥州道中も宇都宮宿まで同じ道筋を通るため、日光街道・奥州道中の宿場として利用されました。
天保14年(1843)には家数72軒、人口268人を数え、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒がありました。町並みは南北に5町20間あり、現在の距離に換算すると約580mです。
雀宮宿には、本陣と脇本陣のほかに仮本陣も置かれていました。現在も旧仮本陣芦谷家の建物と高麗門が残っており、江戸時代の宿場の面影を伝えています。
雀宮宿の基本情報
雀宮宿の所在地や規模など、基本情報をまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 宿名 | 雀宮宿 |
| 読み方 | すずめのみやしゅく |
| 街道 | 日光街道(日光道中)・奥州道中 |
| 宿番号 | 16番 |
| 旧国 | 下野国 |
| 現在地 | 栃木県宇都宮市雀の宮周辺 |
| 家数 | 72軒 |
| 人口 | 268人 |
| 本陣 | 1軒 |
| 脇本陣 | 1軒 |
| 旅籠 | 38軒 |
| 宿建人馬 | 25人・25匹 |
| 前の宿 | 石橋宿 |
| 次の宿 | 宇都宮宿 |
| 最寄駅 | JR宇都宮線・雀宮駅 |
家数や人口、本陣、脇本陣、旅籠の数は、天保14年(1843)の記録に基づいています。人口の内訳は男性138人、女性130人でした。
雀宮宿の場所
雀宮宿は、現在の宇都宮市雀の宮一帯にありました。旧日光街道は現在の国道4号と重なる部分があり、宿場跡はJR宇都宮線の雀宮駅西側に広がっています。
天保14年(1843)の町並みは南北に5町20間で、現在の距離に換算すると約580mです。
宿間距離は、前の石橋宿まで1里半5町、次の宇都宮宿まで2里1町と記録されています。
石橋宿 ← 雀宮宿 → 宇都宮宿
雀宮宿は江戸時代初期に形成された
雀宮宿は、日光街道の開設にともない、元和年間(1615~1624)に形成されたとされています。
もともと東側の奥州街道沿いにあった集落が、雀宮明神とともに現在地へ移り、宿場を形成したと伝えられています。宇都宮市立図書館の地域年表では、元和3年(1617)に雀宮宿が形成されたとしています。
その後、寛永12年(1635)には本陣・脇本陣・仮本陣が設けられました。雀宮宿は、江戸と日光を結ぶ宿場として人や荷物の継立を担いました。
雀宮宿の本陣・脇本陣・旅籠
天保14年(1843)の雀宮宿には、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒がありました。
宿場では25人・25匹の宿建人馬を備え、人や荷物を次の宿場へ送り継いでいました。
本陣と脇本陣は現在の雀の宮4丁目付近にあり、仮本陣は雀の宮3丁目の芦谷家に置かれていました。本陣・脇本陣跡と高札場は、宇都宮市の歴史文化資源として記録されています。
雀宮宿の特徴の一つが、本陣・脇本陣とは別に仮本陣が置かれていたことです。現在も、仮本陣を務めた芦谷家の建物が残っています。
旧仮本陣芦谷家は雀宮宿の面影を伝える建物
旧仮本陣芦谷家は、現在の宇都宮市雀の宮3丁目に残る江戸時代の建物です。
芦谷家では歴代当主が治左衛門を名乗り、名主を務めながら問屋や旅籠、農業を営んでいました。現在残る建物と高麗門は、宇都宮市の資料では文久2年(1862)のものと考えられています。
江戸時代には、徳川将軍の日光社参や大名の参勤交代の際に休憩・宿泊に使われました。明治14年(1881)には、明治天皇が東北巡幸の際に休憩しています。
建物と高麗門は、宇都宮市の「みや遺産」に認定されています。雀宮宿の面影を現在に伝える貴重な歴史的建造物です。
雀宮神社は地域名の由来となった神社
雀宮神社は、旧日光街道沿いの雀の宮1丁目にある神社です。
「雀宮」という地区名の由来となった神社で、宿場が形成される際には、東側にあった集落とともに雀宮明神も現在地へ移されたとされています。
現在も地域の祭礼が受け継がれており、「桜咲く雀宮神社」は「うつのみや百景」にも選ばれています。
あらだて地蔵尊は宿場で亡くなった人々を供養した
雀宮宿には、安政6年(1859)に建てられた「あらだて地蔵尊」があります。
雀宮宿の有力者5人によって寄進されたもので、越後や出羽、下野各地から宿場へ働きに来た下男・下女や、旅の途中で亡くなった人々を供養するために祀られました。
宿場には旅人だけでなく、各地から働きに来る人々も集まっていました。あらだて地蔵尊は、こうした雀宮宿で暮らした人々の歴史を伝えています。
現在の雀宮宿周辺に残る見どころ
現在の雀宮宿では、宿場時代の町並みの多くが失われています。一方、旧仮本陣芦谷家や雀宮神社、あらだて地蔵尊などが残り、江戸時代の宿場の歴史をたどることができます。
旧仮本陣芦谷家
旧仮本陣芦谷家は、雀宮宿を代表する歴史的建造物です。
現在残る建物と高麗門は文久2年(1862)のものと考えられており、宿場時代には仮本陣として利用されました。
芦谷家は名主を務める一方、問屋や旅籠も営んでいました。建物と高麗門は、宇都宮市の「みや遺産」に認定されています。
雀宮神社
雀宮神社は、旧日光街道沿いにある神社です。
「雀宮」という地域名の由来となった神社で、現在も地域の祭礼が受け継がれています。
本陣・脇本陣跡
本陣と脇本陣は、現在の雀の宮4丁目付近に置かれていました。
建物は残っていませんが、本陣・脇本陣跡は宇都宮市の歴史文化資源として記録されています。
あらだて地蔵尊
あらだて地蔵尊は、安政6年(1859)に雀宮宿の有力者5人によって建てられました。
各地から宿場へ働きに来た人々や、旅の途中で亡くなった人々を供養するために祀られた地蔵尊です。宿場を行き交った人々の歴史を現在に伝えています。
雀宮宿へのアクセス
雀宮宿の最寄駅は、JR宇都宮線の雀宮駅です。
駅の西側へ進むと旧日光街道に出ます。旧仮本陣芦谷家も駅から近く、そこから旧街道沿いに本陣・脇本陣跡や雀宮神社などをたどることができます。
宿場の町並みは南北約580mだったため、中心部の史跡は徒歩で巡ることができます。
雀宮宿の前後の宿場
雀宮宿は、日光街道の16番目の宿場です。江戸方面には石橋宿、日光方面には宇都宮宿があります。
石橋宿 ← 雀宮宿 → 宇都宮宿
前の宿場:石橋宿
次の宿場:宇都宮宿
日光街道21宿の一覧を見る
雀宮宿に関するよくある質問
雀宮宿の場所や規模、旧仮本陣芦谷家などについて、よくある疑問をまとめます。
雀宮宿は現在のどこにありましたか?
現在の栃木県宇都宮市雀の宮周辺です。
JR宇都宮線の雀宮駅西側を通る旧日光街道沿いに宿場が形成されていました。
雀宮宿は日光街道の何番目の宿場ですか?
江戸・日本橋から数えて16番目の宿場です。
江戸方面から、石橋宿、雀宮宿、宇都宮宿の順に続きます。
雀宮宿はいつ成立しましたか?
日光街道の開設にともない、元和年間(1615~1624)に宿場が形成されたとされています。
宇都宮市立図書館の地域年表では、元和3年(1617)に雀宮宿が形成され、寛永12年(1635)に本陣・脇本陣・仮本陣が設けられたとしています。
雀宮宿はどのくらいの規模でしたか?
天保14年(1843)には、家数72軒、人口268人でした。
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒があり、宿建人馬として25人・25匹を備えていました。
旧仮本陣芦谷家とは何ですか?
雀宮宿で仮本陣として使われた芦谷家の建物です。
現在残る建物と高麗門は文久2年(1862)のものと考えられており、徳川将軍の日光社参や大名の参勤交代などの際に休憩・宿泊に利用されました。
雀宮宿では現在何を見学できますか?
旧仮本陣芦谷家、雀宮神社、本陣・脇本陣跡、あらだて地蔵尊などをたどることができます。
なかでも旧仮本陣芦谷家は、江戸時代の宿場の面影を伝える貴重な建物です。
参考資料・典拠
本記事の執筆では、以下の資料を参照しました。
- 宇都宮市『宇都宮市文化財保存活用地域計画』
- 宇都宮市「旧仮本陣芦谷家建物・高麗門」
- 宇都宮市『雀宮地区地域ビジョン』
- 宇都宮市雀宮生涯学習センター「雀宮宿を歩く」
- 宇都宮市立図書館『雀宮地域データブック』
- 『日光道中宿村大概帳』
- 児玉幸多校訂『近世交通史料集 6 日光・奥州・甲州道中宿村大概帳』
- 平凡社『日本歴史地名大系 栃木県の地名』
- 『宇都宮市史』


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