間々田宿(ままだしゅく)は、江戸・日本橋から数えて日光街道の11番目にあたる宿場です。奥州道中も宇都宮宿までは日光街道と同じ道筋を通るため、間々田宿は両街道の宿場として利用されました。
日光街道には、日本橋から鉢石宿までに21の宿場がありました。間々田宿はその11番目にあたり、江戸と日光のほぼ中間に位置します。
天保14年(1843)ごろの間々田宿には、本陣と脇本陣が各1軒、旅籠が50軒あり、多くの旅人を受け入れていました。近くを流れる思川には乙女河岸があり、間々田周辺は街道と舟運が結びつく交通の要所でもありました。
現在は、本陣跡や問屋場跡の説明板、間々田八幡宮、乙女河岸跡などから、宿場と地域の歴史をたどれます。
間々田宿の基本情報
間々田宿の所在地や規模など、基本情報をまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 宿名 | 間々田宿 |
| 読み方 | ままだしゅく |
| 街道 | 日光街道・奥州道中 |
| 宿番号 | 11番 |
| 旧国 | 下野国 |
| 現在地 | 栃木県小山市間々田周辺 |
| 家数 | 175軒 |
| 人口 | 947人 |
| 本陣 | 1軒 |
| 脇本陣 | 1軒 |
| 旅籠 | 50軒 |
| 問屋場 | 3か所とする地域資料あり |
| 前の宿 | 野木宿 |
| 次の宿 | 小山宿 |
| 最寄駅 | JR宇都宮線・間々田駅 |
家数や人口、本陣、脇本陣、旅籠の数は、天保14年(1843)ごろの記録に基づいています。
問屋場については、3か所あったとする複数の地域資料があります。ただし、今回の調査では『日光道中宿村大概帳』の該当箇所を直接確認できなかったため、地域資料に基づく情報として掲載しています。
間々田宿の場所
間々田宿は、現在の栃木県小山市間々田を通る旧日光街道沿いにありました。宿場付近の道筋は、おおむね現在の国道4号に受け継がれています。
宿場町は南北に約1km続き、中心部は現在の間々田交差点周辺にありました。本陣や脇本陣、問屋場もこの付近に置かれていました。
前の野木宿から間々田宿までの距離は1里27町、約6.9kmです。間々田宿から次の小山宿までは1里23町、約6.4kmありました。
間々田宿は元和4年ごろに成立したとされる
間々田宿は、元和4年(1618)ごろに宿駅として整備されたと伝えられています。
この年代は、後世にまとめられた『日光道中略記』に基づくものです。成立当時の史料から直接確認できる年代ではないため、本記事では「元和4年ごろ」としています。
日光街道は、江戸と徳川家康を祀る日光東照宮を結ぶ重要な街道でした。将軍の日光社参をはじめ、大名や幕府役人、一般の旅人などが行き来しました。
街道沿いの宿場には、旅人の宿泊を受け入れるだけでなく、人足や馬を手配して荷物を次の宿場へ運ぶ役割もありました。この業務を「継立」といい、その手配を担った施設が問屋場です。
地域資料によると、間々田宿には問屋場が3か所ありました。上中町の問屋場では、上原家が名主を兼ねて問屋役を務めたとされています。
間々田宿の本陣・脇本陣・旅籠
天保14年(1843)ごろの間々田宿には、家数175軒、人口947人が記録されています。本陣と脇本陣が各1軒置かれ、旅籠は50軒ありました。
本陣は、大名や幕府役人などが宿泊・休憩する施設です。地域資料によると、間々田宿では青木家が本陣を務めました。
本陣を補う施設である脇本陣は、舘野家が務めたとされています。現在は本陣と脇本陣の建物は残っておらず、本陣跡には案内板が設置されています。
一般の旅人が利用した旅籠は50軒ありました。宿場全体の家数が175軒だったことから、間々田宿には多くの旅籠が集まっていたことが分かります。
小山市の文化財保存活用地域計画でも、間々田宿と小山宿は旅籠が多く、にぎわいを見せた宿場として紹介されています。
間々田宿と乙女河岸
間々田宿の南西を流れる思川には、乙女河岸がありました。河岸とは、船から荷物を積み降ろしする場所のことです。
乙女河岸には、江戸川、利根川、渡良瀬川を通り、思川をさかのぼってきた船が着きました。江戸方面からは塩や油などが運ばれ、小山周辺で生産された綿花や菜種などは江戸方面へ送られました。
乙女河岸は、日光東照宮の造営や修復に使う資材を陸揚げする御用河岸としても重視されました。また、小山評定の後、徳川家康が乙女河岸から船に乗って江戸へ戻ったとも伝えられています。
乙女河岸で降ろされた荷物は、陸路に積み替えられ、日光方面や周辺地域へ運ばれました。このように、間々田周辺は街道を利用した陸上交通と、思川を利用した舟運が結びつく場所でした。
現在の間々田宿周辺に残る見どころ
間々田宿では、宿場時代の建物の多くが失われています。一方、旧街道沿いの説明板や周辺の寺社、河岸跡、博物館を巡ることで、宿場と舟運の歴史を知ることができます。
間々田宿問屋場跡
間々田宿の中心部には、問屋場跡を示す説明板があります。
問屋場は、人足や馬を手配し、旅人や荷物を次の宿場へ送る継立業務を取り仕切った施設です。地域資料では、間々田宿に3か所の問屋場が置かれていたとされています。
建物は残っていませんが、説明板から問屋場があった場所と、その役割を確認できます。JR間々田駅から徒歩約20分です。
間々田宿本陣跡
問屋場跡から旧街道を北へ進むと、青木家が本陣を務めたとされる場所があります。
本陣は、大名や幕府役人などが宿泊・休憩するための施設でした。現在は建物が残っておらず、跡地に案内板が設置されています。
見学施設ではないため、旧街道を歩きながら公道から確認しましょう。
間々田八幡宮
間々田八幡宮は、間々田宿の西側にある神社です。鎮守の森や池を含む境内の一部は、間々田八幡公園として整備されています。
毎年5月5日には、国の重要無形民俗文化財に指定されている「間々田のじゃがまいた」が行われます。
旧街道から少し離れていますが、間々田に伝わる祭りと地域の歴史を知るうえで、立ち寄りたい場所です。
間々田のじゃがまいた
間々田のじゃがまいたは、江戸時代から間々田地区に伝わる蛇祭りです。五穀豊穣や雨乞い、疫病退散などを願って行われます。
間々田一丁目から六丁目までと長者町の計7町内が、それぞれ「ジャ」と呼ばれる蛇体を作ります。竹や藁、シダ、藤蔓などで作られた蛇体は、長さ約15mに及びます。
祭り当日は、7体のジャが間々田八幡宮に集まり、祈祷を受けます。その後、境内の池で「水呑みの儀」を行い、掛け声を上げながら各町内を練り歩きます。
平成31年(2019)3月28日には、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
乙女河岸跡
乙女河岸跡は、間々田駅の西側を流れる思川沿いにあります。
河岸の建物は残っていませんが、説明板が設置されており、日光東照宮の造営資材などが陸揚げされた場所を確認できます。見学者用の駐車場も整備されています。
JR間々田駅西口から徒歩約20分です。間々田宿とあわせて巡ると、街道と舟運が結びついていた当時の交通の様子を理解しやすくなります。
小山市立博物館
小山市立博物館は、JR間々田駅西口から徒歩約8分の場所にあります。
常設展では、小山の歴史を原始・古代から近現代まで紹介しています。近世の展示には乙女河岸の模型や高札などがあり、小山周辺の街道と舟運について学べます。
通常は無料で入館できますが、企画展の開催時には有料となる場合があります。休館日や展示内容は変更されることがあるため、訪問前に公式案内を確認してください。
小川家住宅・小山市立車屋美術館
小山市立車屋美術館の敷地には、国の登録有形文化財である小川家住宅があります。
小川家は、乙女河岸で肥料問屋「車屋」を営んでいた家です。明治末期に店舗と住居を日光街道沿いへ移し、その際に建物の大部分を新築しました。一部には、乙女河岸から移築された部材が使われたと考えられています。
現存する主屋、米蔵、肥料蔵、土蔵、表門の5棟は、平成19年(2007)に国の登録有形文化財となりました。
江戸時代の宿場建築ではありませんが、舟運で栄えた商家が、鉄道の発達に伴って街道沿いへ移った歴史を伝える建物です。
間々田ひも
間々田ひもは、小山市間々田で作られている手組みの組紐です。
江戸時代から間々田宿に伝わる工芸品ではなく、江戸系の組紐技術に、間々田の渡辺浅市が独自の工夫を加えて生み出しました。草木染めの絹糸を使い、帯締めや羽織紐などが作られています。
平成13年(2001)には栃木県の伝統工芸品に指定され、現在の間々田を代表する工芸品の一つとなっています。
間々田宿へのアクセス
間々田宿の最寄駅は、JR宇都宮線の間々田駅です。
駅から問屋場跡などがある宿場の中心部までは、徒歩約20分です。小山市のコミュニティバスを利用する方法もあります。
間々田八幡宮までは、間々田駅から徒歩約30分です。小山市立博物館と乙女河岸跡は駅の西側、間々田宿の中心部は駅の東側にあります。
博物館、乙女河岸跡、宿場跡、間々田八幡宮を歩いて巡る場合は、見学時間を含めて2時間から3時間程度を見込んでおくとよいでしょう。立ち寄る場所や歩く順序によって、所要時間は変わります。
バスの路線や停留所、運行時刻は変更される場合があります。利用する場合は、小山市の公式案内で最新情報を確認してください。
間々田宿の前後の宿場
間々田宿は、日光街道の11番目の宿場です。江戸方面には野木宿、日光方面には小山宿があります。
野木宿 ← 間々田宿 → 小山宿
前の宿場:野木宿
次の宿場:小山宿
日光街道21宿の一覧を見る
間々田宿に関するよくある質問
間々田宿の場所や規模、現在見学できる史跡について、よくある質問をまとめます。
間々田宿は現在のどこにありましたか?
現在の栃木県小山市間々田周辺です。
宿場付近の道筋は、おおむね現在の国道4号に受け継がれています。宿場の中心部は、現在の間々田交差点周辺にありました。
間々田宿は日光街道の何番目の宿場ですか?
江戸・日本橋から数えて11番目の宿場です。
日光街道の21宿では中央にあたり、江戸方面から野木宿、間々田宿、小山宿の順に続きます。
間々田宿はいつ成立しましたか?
『日光道中略記』によると、元和4年(1618)ごろに宿駅として整備されたとされています。
ただし、成立当時の史料から直接確認できる年代ではないため、本記事では「元和4年ごろ」としています。
間々田宿はどのくらいの規模でしたか?
天保14年(1843)ごろには、家数175軒、人口947人、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠50軒がありました。
問屋場については、3か所あったとする複数の地域資料があります。
間々田宿の本陣は残っていますか?
本陣の建物は残っていません。
青木家が本陣を務めたとされる場所には案内板があり、旧街道から位置を確認できます。脇本陣の建物も残っていません。
間々田のじゃがまいたとは何ですか?
毎年5月5日に行われる蛇祭りです。
竹や藁、シダなどで作った長さ約15mの蛇体を担ぎ、五穀豊穣や雨乞い、疫病退散を願って町内を練り歩きます。平成31年(2019)に国の重要無形民俗文化財へ指定されました。
間々田宿では何を見学できますか?
間々田宿本陣跡、問屋場跡、間々田八幡宮、乙女河岸跡などを見学できます。
小山市立博物館では、乙女河岸の模型や高札などを通して、小山周辺の街道と舟運について学べます。
参考資料・典拠
本記事の執筆では、以下の資料を参照しました。
- 小山市『小山市文化財保存活用地域計画』
- 小山市「小山市観光情報(歴史・文化スポット)」
- 小山市「小山市の文化財(無形民俗文化財)」
- 小山市「伝統工芸品」
- 小山市「小川家住宅について」
- 小山市「おーバス路線図・時刻表」
- 小山市立博物館「常設展」
- 小山市立博物館「ご利用案内」
- 文化庁「国指定文化財等データベース『間々田のじゃがまいた』」
- 栃木県観光物産協会「とちぎ旅ネット『間々田宿問屋場跡』」
- 栃木県観光物産協会「とちぎ旅ネット『乙女河岸跡』」
- 間々田商工会・小山歴史研究会「間々田宿問屋場跡」現地説明板
- 間々田八幡宮「間々田八幡宮の碑と像」
- 公益財団法人とちぎ未来づくり財団 埋蔵文化財センター『研究紀要 第25号』
- 「歩く地図でたどる日光街道」間々田宿~小山宿
- 児玉幸多校訂『近世交通史料集 6 日光・奥州・甲州道中宿村大概帳』


コメント